子ども(人)の可能性を信じるということ? | Chica's BLOG〜感性こそブランド

子ども(人)の可能性を信じるということ?

2月 3 2015, 0 Comments

離婚を決めた時に、一番心配したこと。

「子どもは大丈夫だろうか?」

※決める前に、考えるじゃないか?普通?って聞かないで…

「私は大丈夫、でも、子ども達は…」

と、数日考え続けて気づきました。

「ん?なぜ、自分は大丈夫で子どもは大丈夫じゃないんだ?」と。

「ん?子どもは私より弱い?」

「ん?それって、ただの私の思い上がりじゃないか?」

その気づきから、実は、多くを学びました。

2015-02-03 00.13.56子どもは小さい。そんなの当り前。
目の前にいたのは、生れて六か月の娘と、ただただ本能のままに生きる宇宙人2歳。

そりゃ~見るからに「守らなければいけない存在」です。

でもね、「未来」は分からない。

もしかしたら、私なんかより、ずっとすごい存在かもしれない。

だとしたら、私が心配しながら育てたら、そんな想いは子ども達の邪魔をすることになる。

自分の方が優れていると思いたいという、私のエゴに過ぎない。

そう思えた時、

子ども=全ての人

という方程式が私の頭にインストールされました。

私の目にどう見えるか?
世間からどう見られているか?
世間的にはどんな立ち位置にいるか?

は、全く関係がなく、私にできることは

その人の無限の可能性を信じて「本気で」付き合うということだけだと。

子ども達が私を踏み台にしていけるよう、一つのことをしようと考えた。

それは、「自分で決めさせる」ということ。
そして、「自分で決めたことは守る」ということ。

朝ごはんは何がいいか?と毎朝聞きました。

パンかごはんか?おかずは何か?

どの服を着るか?

どのテレビを見るか?

今日はどこへ行くか?
※もちろん、親の予定は優先させます。

どの包丁できゅうりを切りたいか?
※手を切ったら血が出る可能性があると説明し・・2歳や1歳の子に(汗)。

散歩は歩きで行くか、三輪車か?

なので、娘はすんごい服装の組み合わせでお出かけしていましたし、
宇宙人は1キロ以上、三輪車をこいで泣きながら帰ってくるはめになります。

こんなことを続けていたら、小学校高学年になって手に負えなくなってきた(笑)。

要望を聞いていられなくなったのだ!

宇宙人:「なんで、お前の言うことを聞かないとあかのやー!」

娘:「ふーん、それはお母さんの考えね」

あかん。。。。。。。一般常識らしきことも伝えなければ・・・と
悪戦苦闘(宇宙人とは取っ組み合い)を2年ほど(笑)。

これもあくまで実験です。
我が家の二人がどうなるか?

確かに、彼らは、中学、高校と、
私からの重圧(かなり強烈だと思うのですが…)をものともせず、
自分の意思を通してきました(笑)。

でも、私の内心はまだまだ葛藤があり、どうしても口を出してしまう。

人の無限の可能性を信じる・・・・まだまだ修行中です。

そして、願わくば・・・・

彼ら自身が、何かのキッカケで
自分の無限の可能性に気づいてくれる日が訪れることを・・・と願います。

ん?

それには、まず、自分か?(汗)

 




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