「〇〇〇的な閉塞感」皆さんの中にもないですか?
昨日の夜、時間が取れたので「四日市思風塾」に行ってきました。
昨年から学び始めた感性論哲学。
哲学なんて自分には一番縁遠いと思っていたものでしたが、
芳村思風先生の語られる言葉は、全てす~っと私の中に入っていくのと同時に
今まで漠然と疑問に思い、「それって本当はこうじゃない?」と
言葉にできない考えを持っていましたが、
全てと言っていいほど、
「私が思っていた通り!のことを言ってくれる人がいた!」
という感動を味わいました。
ということで、昨日の心が開放された一言は
「精神的な閉塞感」です。
イエスキリストや釈迦を越えることはできない
孔子や老子を越えることはできない
そんな考えが、人類に精神的な閉塞感を 生み出す。
疑問だったんです。
もし、宗教が万能であったら、すでに全ての問題が解決されて平和な世界が訪れているはず・・・。
でも、今、平和になっていなということは、宗教は解決できないということ・・・だよね?
※というより、宗教が争いを生み出しているとも…
ちょっと、話が飛躍しましたね・・・
でも、いかがですか?上の言葉を聞いて、自分の中の何かに響きませんか?
私だけかな~?
「そうか!閉塞感の原因はこれだったのか!」と理屈ではなく、すごく納得できたのは。
まさか、イエスを越えたい、釈迦を越えたいと思っているわけではなくて、
何に反応したか?というと、
自分の中にある「閉塞感」という感覚には、「越えられない」と決めているものがあるんだ!という気づきです。
きっと、私自身の中に、勝手に作ったイエスキリストや釈迦に変わるものがあるんだと思います(笑)。
過去から学ぶことは大切です。でも、それを越えようとすることのほうが大事だと。
そして、思風先生が言います。
今の子供たちに日本人としての誇りを!と。
子ども達に「閉塞感」を植え付けない、
そして、感じさせない大人でありたいな~って思います(*^_^*)。
それに関連する思風先生のお話は下記からどうぞ
千古の教場、去るべきときが来ている